必殺荷物仕分け人〜社会人1年目に短期バイトしていた頃の話〜

2018年4月25日エッセイ働き方

こんにちは、ハラダ(@nobuhiro_harada)です

「お仕事何されてるんですか?」

と、聞かれたら、今でこそ

「プログラマーです。」

とか

「情報処理系です。」

と答えているのですが、大学卒業して、しばらくは「お仕事」を聞かれるのがすごく嫌でした

これは大学卒業後、あれもだめ、これもだめ、あれもできない、これもできない、と迷いに迷いまくっていた時のことの話です

2006年5月頃(2006年といえば、やはりライブドア事件ですかね)

介護職員を身体的、精神的理由で辞め、さらにその後に決まった自前で派遣社員管理Webアプリを開発してる会社のアルバイトも辞め

「次、どうしよ。どうしたらいい」

人と話すイメージの強かった営業職は口下手の自分は絶対無理だと思っていました。なので、人と話さなくてすむオペレーター、事務職員の仕事を探していました

(今考えれば、オペーレーターも事務も電話で人と話すことが多い職ですが、当時はそんなこと知りもしませんでした)

普通のアルバイトより高時給でしかもパソコンスキルが身につくのでぴったりだと思って、インターネットで探していたのですが、なかなか面接までこぎつけられませんでした

男、当時23歳、実務経験はソフトウェア会社で働いたのは1ヶ月のみで、事務は未経験。。。

普通だったら、第二新卒で正社員で就活すると思います

案の定、親には正社員の仕事を探せ、と散々言われましたが

過去のアルバイト経験から仕事は実際に働いてみないとどんなものかわからないのに、働く前に終身雇用が決まる正社員にはなりたくないと思っていました
(当時から今も一貫して同じ考えです)

親には何度このことを説明しても全く話を聞いてくれませんでした

反発していると、実家に居づらくなってきました。働きもせず、タダ飯食って、偉そうなこといってるだけだったので

余りにも居づらくなってきたので、短期バイトをすることにしました

短期バイトは身体的にキツイイメージがあったのですがやったことがなかったので、どんなものかと申し込んでみました

面談を受けると、あっさり決まって、すぐ働くことになりました。短期バイトとはいえ、事務職の募集がなかなか決まらなかった時期なので「受かった」ことが嬉しかったです

どこで働くことになったのかといいますと、物流センターで、業務は荷物仕分けです

最寄り駅から物流センターまで送迎バスがあるのですが、みんなうつむきがちで、一言も話さず、初日は

「刑務所にでも行くちゃうやんな」

と、びびりました

物流センターではパレットに荷物が積み上げられていて、それをリーチフォークリフトでソーター近辺までパレット毎運び、人がそのパレットに載っている荷物を小分けにして、ソーターに乗せて行き、検品用のシールをひたすら貼っていきます

↓パレットはこんなのです

↓リーチフォークリフトはこんなの

↓ソーター

ソーターに載って運ばれた荷物をトラックに積んで、スーパーやデパートに送られていきます

今はこの業務は人がやっていないかもしれませんね

自分はソーターに荷物を載せるのと、その荷物にシールを貼るのが主な仕事でした

問題はその荷物なんですが、、

ペットボトル2リットル6本入りだったり

ダンボール箱にパッケージで入っているおむつ、お菓子、、、、などなど

これらを1人がソーターにひたすら乗せて、もう1人がひたすら検品シールを貼っていく、という作業を1日8時間やってました

初日を終えた時は両腕が上がらなくなり、歩くのも慎重になるくらい全身筋肉痛だったのですが、2,3日もすれば慣れてきまして、同じシフトに入っている人とも話すようになってきました

以前はリーチフォークリフトを動かす側だった人、長崎から単身京都に出てきて、最初は食いつなぐ為に始めたが、気づいたら1年位経ってるという兄ちゃん、荷物の検品に勤しむおばちゃんの軍団

送迎バスに乗る時はみんな暗い顔をしていましたが、いざ話してみると、いい人ばかりで

「大学出て、英語勉強していたのになんでこんなとこで働いてるのか」

とか、

「英語では仕事がないのか」

などと、よく聞かれました

一から経緯を説明するのが、めんどくさかったので(典型的O型なので)

「色々ありまして、、、」などと、ごまかしていました

この時、「レールから外れる」とはこういうことか、と実感しました

親がなんで正社員を執拗にすすめてくるのかもわかりました

「このままではヤバイ。(この現場から)抜けられんくなる」

単純作業を続けていると恐ろしいもので思考が停止していくのを実感できますし、仕事を覚えていく内に色々別作業もふられはじめ、このまま続けていると、同じシフトに入ってる兄ちゃんと同じ運命を辿ってしまいそうでした

実家でタダ飯を食うことは回避してるものの、短気バイトしていることに対する親の視線も日々キツくなってきたこともあり、早くオペレーターか事務職員の仕事を決めたいと焦りはじめました

当時のインターネットでの求人広告には、、、

「PCスキルを働きながら身につけられる!」
「スキルアップしたら、正社員への道があります♪」
「お客様対応のコミュケーションスキルが身につきます!!!」

などなどどれも魅力的に見えました。(さすがリクルート)

が、なかなか面接までこぎつけられません

滋賀、京都で求人を探していたのを、大阪まで範囲を広げ、ようやく面談が決まり、仕事も決まりました

そもそも滋賀、京都には仕事がなかったんですね、当時

心底ほっとしました

短気バイトのままだと、「未来」を感じられなかったのが大きかったです

決まったのは派遣事務だったのですが、時給がよくなり、さらに「PCスキル」「コミュニケーションスキル」が身につく、と「未来」が開けたのがやはり大きかった

センターで一緒に働いていた先輩に次の仕事が決まったと話したら、送別会を開いてくれて、業務終了後に飲んだビールは肉体労働の後、かつ新天地への期待感もあり格別に美味しかったです。一緒に働いたのは数ヶ月でしたが、笑顔で送り出してくれて、本当にいい人達でした

この時、長崎からきたという先述の兄ちゃんが一言

「お前、脱出成功やな〜」

と、言われ、すごく印象に残っている一言だったのですが

この後、物流センターで終わらず、実家を、滋賀を、大阪を、と脱出劇が続くとはこの時は思いもしませんでした

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Posted by nobuhiro harada